テレサテン19回目の命日「つぐない秘話」

05/10 20:31 (BS朝日[いま日本は])

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おととい5月8日はテレサテンの19回目の命日だった。
1995年5月8日、42歳の若さで突然この世を去った。
六本木ではテレサテンの命日の日に昭和の歌謡曲をテーマとした店ではテレサテンの歌が歌われていた。
台湾や香港などでトップスターだったテレサテンが日本でデビューしたのは40年前。
「空港」でレコード大賞新人賞を受賞した。
1977年3月、テレサは福島県三島町をキャンペーンのため訪れた。
町長(元)宅でミニコンサートも行った。
スナック「昭和歌唱」オーナー・関野博和が「女性では圧倒的な人気。
スナックに合う」、元トーラスレコード社長・舟木稔が「日本の鮭茶漬けを非常に気に入り、よく注文していた」、三島町役場地域政策課・北舘亮主査が「“ふるさとはどこですか”という歌のキャンペーンで訪れたと聞いている」、三島町観光協会・海老名健が「雪を見たのが初めてでかなり喜んでいたようだ。
(三島町は)“私の第2のふるさと”と話していた」とコメント。
中国版「償還(つぐない)」、「愛人」、「空港」の紹介。
1984年「徹子の部屋」、「歌謡ドッキリ大放送」、日本のデビュー曲「今夜かしら明日かしら」、会津宮下駅、三島町・軽食喫茶「どんぐり」の映像。
♪時の流れに身をまかせ。

 

 

テレサにとって日本とは?

05/10 20:39 (BS朝日[いま日本は])

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1979年2月、テレサテンはパスポート事件を起こし日本からの国外退去となった。
成田空港の映像。

 

 

19回目の命日“テレサが日本に愛される理由”

05/10 20:42 (BS朝日[いま日本は])

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パスポート事件後、テレサは米国へ渡った。
元トーラスレコード社長・舟木稔が「今思っても(米国に行かせたのは)正解だったと思っている」と話す。
日本では次第に忘れられていったが海外では益々大スターとなり、台湾では軍の慰問を条件に帰国を許可され、中国では改革開放政策で彼女の歌が急激に広まっていた。
満を持して日本で再デビューした曲が「つぐない」だった。
1990年には念願だった中国・天安門でのコンサートが決定していたが1989年6月に起きた天安門事件のため実現しなかった。
1995年5月、タイ・チェンマイで気管支ぜんそくの発作で倒れ死去した。
福島県三島町は2012年に「日本で最も美しい村」連合に加盟したが、テレサテンが植樹した気は移植したため枯れてしまった。
成田空港、1984年「徹子の部屋」、「時の流れに身をまかせ」、1986年「歌謡ドッキリ大放送」、1989年「水曜スーパーテレビ」、「香港」、ロンドン、パリの映像。

 

 

19回目の命日“テレサが日本に愛させる理由”

05/10 20:46 (BS朝日[いま日本は])

ジャーナリスト・青木理は「カラオケに行くと必ず歌う。
歌姫なのに政治に翻弄されてパスポートの問題などもあった。
昼はトウ小平が動かし、夜はテレサテンが動かすなどと言われる時代もあったくらい影響を与えた人」、タレント・中村雅俊は「歌の説得力が半端じゃない」、中央大学教授・目加田説子は「今でこそ国境を超えてアーティストが活躍するのは一般的だが、当時はとても少なかった」とスタジオコメント。

 

 

 

消息來源:https://www.facebook.com/chananya.chantichai/posts/716285525080919?comment_id=716300515079420&ref=notif&notif_t=like
作者:Chananya Chantichai

影片來源:https://www.youtube.com/watch?v=vTnBCk1ycdE
影片上傳者:Arisan00000

資料來源:
JCCテレビすべて
資料網址:
http://jcc.jp/news/8322167/
http://jcc.jp/news/8322172/
http://jcc.jp/news/8322175/
http://jcc.jp/news/8322184/

 

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